いつもANY+GUARDのホームページをご覧頂きまして有難う御座います。
鳥取の警備会社ANY+GUARDの前田です。
14年前の14時46分。
僕は東京で仕事をしていました。
最初は『あ、地震かぁ』程度。
揺れが強くなり『結構デカいな』なんて言いながらも仕事の手を止め笑っていた。
更に揺れが強くなったその瞬間、冗談半分でデスクの下に潜ろうとした。
そこから2分、3分くらいの記憶がない。
東京出身なので地震には慣れていました。
小さい頃から地震を経験してましたからね。
地震で揺れている最中は家族で震度予想。
TVの地震速報で予想が外れただの当たっただのと。。。
数分の記憶が飛んでいるのは恐怖からです。
デスクに潜ろうとした瞬間、経験したことのない大きな揺れと轟音。
記憶が戻ったのは『外に出よう!』という誰かの声がした瞬間。
大きく揺れている真っ最中に外へ飛び出していました。(一階の店舗事務所だった)
ビル同士がぶつかって砂煙が舞い上がってました。
足場から職人さん達が飛び降りているのを見て事の重大性を認識。
ビルが倒れるんじゃないか?ガラスが降ってくるんじゃなかと
大勢の人が東京四谷、新宿通り(R20)の中央分離帯に避難。
中央分離帯だけで収まらず、新宿通りは人の山になって車は通れない状況でした。
いつまでも続く余震。携帯電話から鳴り響く緊急地震アラート。
交通機関はストップ。夕方には歩道が人々で埋まり帰宅を諦めました。
コンビニで食料と飲み物、お酒も買って事務所で過ごすことに。
ネットで被害状況を確認。
時間が経つにつれ被害の大きさが増していく。
東北地方の津波。。。一人でも多く助かることを心から願い心から祈った。
東北出身の同僚は海側ではないからと言いながらも連絡が取れない家族を思う。
余震やアラート、布団や毛布もない事務所では寝ることも出来ない。
ニュースでは増え続ける被害を伝える。
帰宅したのは翌日の夕方でした。
家族は無事。同僚の家族も無事。一先ず安心して眠ることが出来ました。
2011年3月11日
掛け替えのない多くの人の命が失われました。
改めてご冥福をお祈りし哀悼の気持ちを捧げます。
また、今なお悲しみのなかにおられるご家族の方々に、
心よりお悔やみ申し上げます。
令和7年3月11日
合同会社ANY 一同より。
